<2011年度>
【日時】 平成23年7月3日(日) 10:30~12:00
【会場】 専修大学 生田キャンパス 10号館 10315教室
【テーマ】 「情報通信の温故知新」
1.日本の通信事業の特質 -何故、官営・独占が長く続いたのか-
2.技術と制度が織りなす通信サービスの歩み -一般財から自由財へ-
【発表者】 1.押田榮一 氏(情報文明研究所)
2.中野幸紀 氏(関西学院大学)
【司会】 塚本勝俊 氏(大阪大学)
【報告】 今回は第28回学会大会研究会報告の一端として実施した。これまでの研究会の経過も報告し、この研究会の意義も伝えた。
1869年、電信事業が郵便事業より2年前から始まり、日本の近代化に寄与してきたことを振り返り、民営の提言がありながらも官営となった経緯、そして、通信特別会計が軍事費に使われたこと、電話の普及は受益者負担という形で利用者(国民)の負担であったこと、1985年民営化したとはいえ、完全に「民営・分割」ができ完全に自由競争体制にはなっていないことを指摘した。
また、通信サービスの普及により、財としての性質にも変化があり、通信は公共サービスとして、一般財から公共財へと変化しているのではないかと問題提起を行った。
討議の中では、通信事業で儲かったものを、国民に最も重要な国防に使う、あるいは一部のメーカーなどのことではなく、その収益でコンピュータなどの国際競争力を高めることができたのは良かったのではないか、という意見もあり、有益な研究会であった。
<2010年度>
【日 時】2010年11月30日( 火 )14:00~17:30
【会 場】 NTTドコモ関西 大阪南港ビル 西日本オペレーションセンタ
(〒559-0034 大阪市住之江区南港北1-9-9)
【テーマ】 見学と講演 『移動通信史』 可搬無線機からケータイへ
【発表者】 西邑 省三 氏 NTTドコモ 関西支社特別参与
【参加人数】 28人
【報告要旨】 
・ 見 学
オペレーション・ルーム、屋上鉄塔、移動基地局車、History Gallery
・ 講 演
1895年マルコニーの発明後、1912年のタイタニック号の事故から認識が高まり、その後ディバイス小型化によって船から車そして人の手で持てる携帯へと発展してきた。
日本での船舶通信、列車電話、自動車電話、航空機電話からポケットベルそしてコードレス、ケータイへの経緯を見、単に技術発展だけではなく、保証金の廃止、端末売切制の導入などを経、さらに多数の事業者による競争体制が普及に拍車をかけた。
その結果、コミュニケーション・ツールから情報アクセス、生活支援の手段に加え人々の行動を支援する役割をも担うようになった。
・ 討 論
何故、外国には見られない「ベル友」が日本で始まりそして廃れて行ったのか、それがケータイの普及とどうつながるか、
電子ブックなどの普及によって活字文化がどうなるか、
これらの普及に関西の特徴はどう出ているか、
など、活発な意見が交わされ、かなり時間オーバーとなるなど中身の濃い見学・講演会であった。
(文責 押田)
【日 時】2010年9月21日( 火 )15:00~17:00
【会 場】 関西学院大学 大阪梅田キャンパス 1406教室
(〒530-0013 大阪市北区茶屋町19-19アプローズタワー14F)
【テーマ】 『ファクシミリ史』開発と標準化
【発表者】 水谷 幹男 氏 Egretcom(株)、 (画像電子学会)
電話より33年も前に発明されたファクシミリについて画像電子学会から推薦を頂いた水谷幹男 氏(元副会長)からその経緯を黎明期、誕生期、成長期、成熟期と分け、映像、トピックスも交え興味深いお話を伺った。
画像伝送の基礎となる、スキャニングと同期問題は当初から採り上げており、その後電子素子の発明、デジタル化によって進展し現在の普及に繋がるが、その国際規格の制定、モデモチップの製作等に我が国が主導的役割を果たし、ディファクト スタンダードを作り上げて行ったことは情報通信文明史としても特筆すべきことであろう。また、数々の国際会議の経験談も得るところが多かった。
討論でも、ファクシミリの将来像として、PtoPの通信システムとしての可能性、発展途上国での携帯電話との組み合わせによる普及、識字率の低い地域でも画像による通信の可能性など、熱のある意見交換が持たれ予定時間を大きくオーバーした。
(文責 押田)
<2009年度>
日時:平成22年2月5日( 金 )14:00~17:00
会場: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス 1401教室
メイン
テーマ: 『情報文明の進化史観』
2年間8回に及んだ研究会も最終回となった。
この度は「情報文明の進化史観」として「情報と通信が人類文明にどのような意義と役割を演じてきたか、また 今後になにを期待できるか」について報告頂くこととした。
情報文明の進化の方向性について、話者なりの2つの視点から述べる。過去・現在・未来にわたる文明史として体系化しようとの性格を伴っている。
人類文明に対する見方にはいろいろあろうが、技術という観点からはネットワークに注目する見方が重要であると考えている。初期の文明から現在の情報文明までを俯瞰し、話者が提案した「文明のネットワーク史観」について述べる。これは人類史という短期的な見方での文明観である。
一方、生命史ともいえる長期的な観点から、「進化史観」ともいうべき見方で情報文明をとらえ直す試みを行っている。数理的には生命と知性の根源は相似的な法則性に基づいていると考えられる。また情報学の初期においては、計算科学(computics)とともに、生命現象から考える知性科学(intellectics)の流れがあったと思われる。しかしながらコンピュータ技術の急速な進歩に目を奪われ、知性科学は萌芽のまま取り残された。生命と知性とを情報現象として法則化する科学および人工知性(artificial intellect)などの研究が、未来の情報文明においてやがて重要性を増していくのではなかろうか。1980年代前半に話者は、それが情報検索技術から始まり、ロボティクス、自己組織化などの研究を重視すべきであると予測した。また情報通信における技術開発の熱狂の頂点は2000年前後と考えた。これを「コンピュータの30年周期説」と呼んだが、現状までは比較的よい予測であったのではないかと暫定評価している。
【発表者】 稲垣 耕作 京都大学大学院 情報学研究科 准教授
1949年生まれ、1977年、京都大学工学研究科博士課程終了。
『コンピュータ科学の基礎』コロナ社、『複雑系を越えて』筑摩書房、
『情報文化科学ハンドブック』森北出版他、逢沢 明の筆名でも著作多数。
日時: 2009年12月14日(月)14:00~17:40
会場: 中西印刷 京都市上京区 http://nacos.com
貝葉書房 京都市中京区 http://www.baiyoushoin.com/
メインテーマ: 「情報の複製と保存」
報告: 11月19日の研究会での口頭報告に続き「現場見学会」を実施した。
木版、活版、平板、ディジタル総ての技法を駆使してきた京都の老舗中西印刷の保存する印刷機器の見学を行った。母型(活字鋳造の金属製の雌型)からその原図、鋳造機、活字、そして組版、紙型など一連の実物を観ることが出来たのは情報文明史研究の上で大変有意義であった。併せ、最新のディジタル機器による印刷の現場も見学した。
引き続き、江戸時代そのままのような木版、手摺り、和装本の製作を続ける貝葉書院さんを訪れ、いろいろお話を伺い、版木など実物を観せて頂いた。「貝葉」は貝多羅葉(ばいたらよう)の略で木簡など以前に椰子などの葉を加工して紙に代わりに用いたもので、木の葉のサンスクリット語であり、南アジアに多いというがその実物を手にとって見ることができ一同感激。350年前に完成したという6万枚の版木から一枚一枚摺り上げたという「大般若経」600巻(380万円)にも驚かされたが、店を挙げて取り組む情熱にも感動し、予定時間を大幅にオーバーした。
やはり「モノに語らせる」実物を観ることの重要性を実感すると共に、歴史を大切に護ってきた体験者のナマの声の重さをかみ締める見学会であった。(文責・押田)
参加者: 13名
日時: 2009年11月19日(木)14:00~17:00
会場: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス 1408教室
メインテーマ: 「情報の複製と保存」
報告者: 『活字が出来てからなくなるまで』
中西 秀彦 中西印刷㈱ 専務取締役
『図書館の昨日・今日・明日』
稲葉 洋子 大阪大学 付属図書館」 利用支援課長
報告:
人類文明史上最も偉大な発明は紙と印刷であろう。 これが無くては飛行機もコンピュータも発明できなかったであろう。情報の複製と保存。「賢人は歴史に学び、愚人は経験で語る」と言われることから、私たちは文明史を追ってきた。中西印刷は創業慶応元年(1865年)、木版、活版、平板ディジタル総ての技法を駆使した数少ない会社である。 その経緯特にディジタル化の苦労話しを伺い、印刷の重要さ、役割の大きさを再認識した。
図書館については主として大学図書館の変容について伺っ た。その歴史は古いが、最近の「機関リポジトリ」つまり、大学 と大学構成員が生み出したディジタルな資料の管理と普及を 目的としているこのサービスへの取り組みとその効果についても伺った。図書館も電子化、コンピュータ化の流れから、利用も個人学習からグループワークへ、閲覧から学習支援へと変わり、いかに学習支援をするかが問題であり、書庫と閲覧室だったのが、自学ゾーン、パソコン・ゾーン、ディスカッション・ゾーンなどが必要となり、大阪大学でもLearning Commons として756㎡のすぺすがすでに実働していることが報告され私学の図書館関係者から驚きの声も聞かれた。
また、中西印刷㈱の「活版ミニ博物館」(非公開)への見学会も検討され実施の方向付けもできた。
参加者: 17名 東京からの参加者もあり。
日時:平成21年6月28日(日)11:00~12:00
講演:「本邦情報通信の原点 志田林三郎の学会設立演説を読み解く」
報告者:
押田 榮一 関西学院大学 非常勤講師(元・龍谷大學 社会学部 教授 )
会場:桜美林大学 明々館 A-308
参加者:9名
報告:今回は学会大会の「研究会報告」の一環として行った。
我が国の情報通信を最初に切り開いた人は「志田林三郎博士」ではないだろうか、
日本初の工学博士であり、帝国大学電気学科で最初の日本人教授であったにも関わらず知る人が少ない。冒頭まずVTRによって博士の足跡をたどり、電気学会創立の時の演説を採り上げる。この「講演」は、我が国初の電気通信に関する論攷(こう)であり、情報通信関係者必読の論文であるが、明治時代の文体は句読点もなく、古い漢字、カナ交じり文でかなり難解である。そこで、現代語訳を試み、構成を判り易くするために見出しを付け、適宜改行、箇条書きとし、さらに若干の解説を加えて、より多くの方々に知って頂けるよう取り組んだ。
本文は、1.電気学会の組織・事業、2.電気学の沿革、3.電気通信の未来予測に大分されるが、電気学会の名であるがまだ電灯も普及していない時期であり実質的には「電信学会」であり、その運営への助言は今の本学会の運用にも非常に参考になる。電気学の沿革はそのまま教科書になるほどの内容であり、特に「アースの発見」は他に記述が少ないことから注目に値する。未来予測の「将来ヲ推測スル十二ノ豫期スベキモノ」ではマルコニー以前に「電線ヲ用ヒズ数里ノ河海ヲ隔テ、自在二通信又ハ通話ヲ得ルノ節モ來ルベシ」とか、「電気又ハ磁気ノ作用ニ依リテ光ヲ遠隔ノ地ニ輸送シ遠隔ノ地ニ在ル人ト自在ニ相見ル┐(こと)ヲ得ル方法ノ発見ヲ望ムモ敢テ夢中ノ想像ニアラザルベシ」つまりこの時代(明治治21年)にテレビジョンを予見するなど全く驚かされる。

日時:平成21年6月19日(金) 14:00~17:10
講演:『情報通信とジェンダー』
報告者:
『ITの夜明けとパイオニア・ウーマン
―his-story から her-storyへ―』
松田 裕之 甲子園大学 現代経済学部 准教授
『近代日独の情報通信技術とジェンダー』
石井 香江 四天王寺大学 人文社会学部 専任講師
会場:関西学院大学 大阪梅田キャンパス
参加者:12名
報告趣旨:
情報社会では力や筋肉は関係ないのであるから、農業社会、工業社会とは違って性差別は無いはずである。はたしてどうであったのかを採り上げた。電信サービスが始まった頃、欧米のミドルクラスに於いても、「肉体的に強く逞しい男性は市場という広い公的空間で家族のために働き、か弱く優しい女性は家庭という狭い私的空間で出産や育児に専念すべし」という考えが強かったが、実際には必要に迫られ、教師や電信技手、後には電話交換手として働く女性の数は少なくなかった。「顔が見えない、声が聞こえない」という仕事の特性により、電信業務は男か女かが問題とならない職業であるかにみえるが、実は電信技手という職業には男性的なイメージが付与されていた。日本の場合は、モールス通信の際のトラブルで「機上論争」という一種の喧嘩がつきものだった電信技手は、「電信マン」「トンツー屋」「タタキヤ」という、男っぽい名前で呼ばれ、女性技手は例外視された。事実、女性電信技手が主に進出したのは、モールスではなく自動化された電信機を扱う職場であった。「モールス文化」とは機上論争という技手同士の喧嘩に特徴付けられる男性的な職場文化で、女性の参入を拒む一要因であった。女性の社会進出、職業婦人の台頭と時期を同じくするが、何故か電信技手は男、電話交換手は女の形が定着してゆく。討議では、戦時中男性が戦場に駆り立てられた時、電信の職場での女性進出はどうであったか、あるいは、通信と深い関連のある鉄道の職場での女性の役割、現代ではどこの職場でも男女差別の問題は少なくなったとはいえ、情報通信業界経営陣に女性役員があまり見られないのは何故だろう?など活発な意見もあり、今回は新インフルエンザのために日にちを変更したり、他の研究集会と重なったりして少人数であったが、意外と奥深いテーマであることが確認され有意義な会であった。(押田記)
<2008年度>

日時:平成21年1月23日(金)14:00~17:15
講演:『情報通信の言葉を巡って』
報告者:新井 菜穂子氏(国際日本文化研究センター 准教授)
『伝から電へ ― 近代通信の用語の定着の一断面 ― 』
小野 厚夫氏(神戸大学 名誉教授)
『情報という言葉の初出と、その一般化 ― 明治期の情報 ― 』
会場:関西学院大学 大阪梅田キャンパス
参加者: 24名
報告趣旨:
この度は新しい技術が導入される時にどのような訳語が当てられどのように定着して行ったのかを二人の方に報告頂いた。「伝話」から「電話」へ。そしてテレフォンに電気の意味が無いのに何故「電」「気」の字が入り現在の言葉に定着したのか、その経緯を緻密な調査資料を軸に報告を受けた。「情報」という言葉が何時から使うようになったのか、「状報」と「情報」が併用されていたのに何故「情報」が残ったのか、元々軍事用語であったのがどのようにして一般語になって行くのか、オリジナルな地道な文献調査に裏打ちされた報告で一同感銘を受けた。討議では、「情報」と言う言葉の世代間の受け方の相違も明確になり、今回は明治時代で終わっているので、昭和そして敗戦後の変容を追って、もう一度このテーマで研究会を持ちたいとの声も上がった。また、日本語の「雷電」と「ライデン瓶(初期のコンデンサーの一種)」とは関係があるのか、無いのか、と言った話題まで飛び出し、楽しい研究会であった。(押田記)

日時:平成20年11月7日(金)15:00~17:30
講演:「旗振り通信」
吉井 正彦氏(国立民族学博物館 客員教授)
? 柴田 昭彦氏(大阪府立東大阪支援学校 首席・教諭)
会場:関西学院大学 大阪梅田キャンパス
参加者: 27名
報告趣旨:
電気通信以前の長距離通信について第1回の「腕木通信」に続いて、それより半世紀前から「実用」されており、電話普及後も 利用されていた「旗振り通信」についての研究成果を伺った。 再現実験を試みた吉井さんからは当時の記録映像、貴重な当事者のインタビュー映像を視ながらの報告であり、旗振り通信の行われていた現地を検証、踏破している柴田さんからはその苦労話しを交えながら
膨大かつ緻密な資料も基にした報告であった。日本が世界に誇れるこのシステムの記録・文献がなぜ多く残っていないのか、なぜ学術的に採り上げられることが少ないのかについても意見を交わした。当研究会を基にアカデミックな研究成果も上がり、世界的にも知られ認められて行くことを期待したい。(押田記)
日時:平成20年8月11日(月)13:00~18:00
講演:「モールス電信士-点と線が刻むITの創生-」 松田裕之氏(商学博士 甲子園大学准教授)
パネルディスカッション:「無線電信士-その社会貢献と電波が繋いだ職業空間-」
司会:中野幸紀氏(関西学院大学)
パネリスト:
松田裕之氏(甲子園大学)、曽根康仁氏(詫間電波工業高等専門学校)、
大島寿一氏(古野電気株式会社)
会場:詫間電波工業高等専門学校
報告趣旨:
冒頭、詫間電波工業高等専門学校記念館に所蔵されている通信機器見学会が同学真鍋克也教授の案内で実施された。充実した所蔵品に参加者一同感銘を受けた。講演では、トンツーというディスクリートな音響モールス符号の送受信を手動で高速に行う専門的職業人としての電信士が19世紀末までに米国横断電信網の拡張とともに出現し、その100年後にほぼ消滅したことが、文化、経営、社会学的視点から総合的に報告された。パネルディスカッションでは、詫間電波学校での無線通信士養成課程の紹介、技術革新への対応、国家資格と学歴問題などについて討議された。最後に、通信士となるための勉強は青春そのものだったが、そのときの努力が後々の様々な技術革新と社会的変化に対応する職業素地を形成したとの指摘があった。参加者は、20名(主催者、学生参加者を含む)であった。(当日の様子が2008/8/15の四国新聞に取り上げられました。)

日時:平成20年6月27日(金)15:00~17:00
テーマ:「情報通信史にみる破壊的イノベーション」
報告:中野 明氏(ノンフィクション・ライター
関西学院大学、同志社大学 非常勤講師)
会場: 関西学院大学大阪梅田キャンパス
報告趣旨:
冒頭、押田主査より本研究会の発足の経緯、目的について説明後、中野 明氏
(ノンフィクションライター)の講演『情報通信史にみる破壊的イノベーション』を
聞く。
電気通信以前の「腕木通信」から現代のIP電話に到る通信の変遷の中で、破壊的イノベーションと呼べるものを文明史的に考察、報告した。
情報通信についてこのようなアプローチは珍しくもあって関心を呼び、討論では、
更に政治、経済問題、精神風土の文化論にまで発展し、時間オーバーとなる。
アンケート(回収率72.9%)では本テーマに「大いに関心あり」33%「関心あり」
が59.26%、本日のテーマについても「良かった」70%、「まぁまぁ」22%であり、
まずまずの成果であったと思われる。今後はこのアンケート結果をも参考にしながら
研究テーマと運営方法を展開して行きたい。(文責・押田)